オシム氏は2003~06年にジェフ千葉(当時のジェフ市原)、06~07年に日本代表を率い、日本に「考えて走る」をテーマとし、日本サッカー史に今なお強いインパクトを残している方です。
そのイビチャ・オシム氏が5/1、亡くなったとのニュースが飛び込んできました。
であり、日本サッカーに新たな視点を多数与えてくれた監督です。オシム監督の体調問題から、残念ながら志半ばで終わってしまったチームですが、「あのままオシムジャパンが続いていたら……」という声は今なお聞かれます。
個人的に、あの頃の日本代表チームも大好きだったし、サッカー自体も盛り上がっていたと思うので、振り返っていこうと思います。
オシムジャパンを振り返ろう
オシムジャパンとは、サッカー日本代表のうち、イビチャ・オシム監督在任中の代表チームを指す愛称でした。
2010年、南アフリカのワールドカップに向け発足しました。
しかし期間としては短く、2006年7月から2007年11月まででした。
しかし、オシムさん自身が健康を害したことによって退任し、岡田武史が急遽後任を務めることになっていました。
なので、割とすぐに岡田ジャパンに切り替わったと記憶しています。
ただ、その一瞬があまりにもインパクトが残っています。
完成形と言われたオシムジャパンの基本フォーメーション
●基本フォーメーション(アジアカップ)
▽GK
1 川口能活▽DF
21 加地亮
22 中澤佑二
6 阿部勇樹
3 駒野友一▽MF
14 中村憲剛
13 鈴木啓太
10 中村俊輔
7 遠藤保仁
9 山岸智▽FW
19 高原直泰「フットボールチャンネル」より引用
そこ頃の状況、時代背景は?
ドイツで開催の2006FIFAワールドカップで3大会連続3回目の出場となった日本、ジーコJAPANは、3戦1分2敗でグループリーグ敗退になっていました。
大会後、主力であった中田英寿の引退が発表されていました。
少し、日本代表の先々を不安視する声もポツポツ。
待望のオシム監督!
ジーコジャパンが終わり、ジェフ市原での実績で兼ねてから日本代表監督就任が待望されていたオシム監督が就任します。
就任後、思い切ったメンバー入れ替えをしました。
コンスタントに招集された海外組は中村俊輔と高原直泰のみというくらいに国内組中心に戻します。
自身の「考えて走る」サッカーを理解し、体現できるジェフユナイテッド千葉の選手を中心にチームを編成し、中盤は遠藤保仁、中村俊輔、中村憲剛とチャンスメイクに長けた選手を起用していました。
この中盤も今見てもワクワクする3人ですね!豪華!
この3人のチャンスメイク力を存分に発揮させるため、中盤の守備を鈴木啓太選手が全て引き受けた形を取る。戦術的な重要性は大きいですね。
オシムジャパン末期はここに松井大輔を加えるなど、新たな攻撃の形を見出していました。
アジアカップの結果は残念なものに終わったが、期待出来るチームだった事は間違い無く、もしオシム監督がこのまま日本代表を指揮していたら…という事も今だに語られるほどです。
オシムジャパンに誰がいた?
オシムジャパン主力メンバー
ではそのほかに誰がいたのでしょう?
短い間といえど、かなりの人数いましたので、主要な方を連ねています。
GW
川口能活
川島永嗣
DF
田中マルクス闘莉王
内田篤人
MF
稲本潤一
遠藤保仁
三都主アレサンドロ
中村憲剛
中村俊輔
長谷部誠
本田圭佑
松井大輔
FW
大久保嘉人
高原直泰
巻誠一郎
まとめ
今見てもほんとに豪華だし、素晴らしい面々で先ほども書いたとおり、「もしオシムジャパンが続いていたら…」と考えたくなってしまいますよね!
過去の話もそれはそれで楽しいですが…
今年、ワールドカップ、カタール大会もありますし、楽しみですね!
何年か後に語り継がれるようなゲーム、物語をまた楽しみにしたいと思います。