榊原信行氏は若い頃からかなりやり手で優秀!黒い噂はどこから?

那須川天心と武尊の、世紀の一戦が見られなくなると、連日RIZIN代表の榊原信行氏の挙動が報道されていますよね!
そんな榊原氏ですが、若いころからかなりのやり手。プロモーターとして数々の団体を立ち上げてきました。そんな榊原氏の若い頃からの経歴と、現在話題になっている黒い噂はいつからなのかをまとめました!



榊原信行のプロフィール

氏名:榊原信行(さかきばら のぶゆき)
生年月日:1963年11月18日
出身:愛知県半田市
学歴:愛知大学卒業
職業:株式会社ドリームファクトリーワールドワイド 代表取締役社長

プロレス興行「ハッスル」や格闘技イベント「RIZIN」の立ち上げなどで、榊原氏の名前が広く知られるようになりました。
現在は、総合格闘技団体「RIZIN FIGHTING FEDERATION」の運営を行う「株式会社ドリームファクトリーワールドワイド」の代表取締役社長を務められています。

榊原信行の若い頃からの経歴

愛知県立半田高校ではサッカー、愛知大学ではウィンドサーフィンに熱中した彼が、社会人になってやりたかったのは「祭り」だった。

「子供の頃、ボーイスカウトをやってた影響なのかなあ。漠然と、とにかくみんながひとつの場所に集まってワーッて盛り上がることを企画するのが大好きで、どうせ社会人になるんだったら、そういう場を作りたいなって思ったんですよ」

若い頃から、イベントを企画することに興味があった榊原氏。大学卒業後は大手の広告代理店をはじめ、首都圏もしくは大都市のテレビ局などに就職活動をするも、全滅。
唯一、引っかかったところがフジテレビの系列局「東海テレビ放送」なんだとか。

そんな東海テレビ放送も最終面接で落ちてしまったそうですが、榊原さんの熱意もあって「東海テレビ事業」という会社に入社することができたようです。

東海テレビ事業時代

東海テレビ事業時代には、やりたいことを上司にドンドン提案し、頭角を現していったようです。
知多郡美浜町の小野浦海水浴場を会場とする「美浜海遊祭」や、岐阜県にダイナランドというスキー場での「ダイナランド・スノーフェスティバル」など提案したイベントの中には、会社にとっても確実に利益となったイベントも多数あるようですね。

そんな榊原氏が格闘技に傾倒するキッカケとなったのが、K-1。

「1994年3月。東京の日本武道館。そのマネージャーの方のつてでリングサイドで観させてもらったんですが、まあ凄い迫力でした。ヘビー級の選手たちのどつきあいですからね。正直、これってキックボクシングと何が違うんだろう、とか、キックパンツってどうなんだろうとか、いろいろ思うところがないわけじゃなかったんですけど、それ以上に衝撃の方が大きくって」

すぐに、K-1創始者である、石井和義とその右腕とされた角田信朗との関係を築いたことで、K-1名古屋大会の興行権と放映権を獲得しています。

「PRIDE」黄金期

その後の1999年、35歳だった榊原氏は格闘技イベント「PRIDE」の運営を解散するKRSから引き継ぐために設立された「DSE(ドリームステージエンターテインメント)」の常務取締役に就任。
39歳の時には、DSEの代表を務めていた森下直人さんの後を継ぐという形で、DSEの代表取締役に就任されています。

1999年~2005年頃といえば、毎年大晦日には格闘技が放送されていた黄金期。PRIDEはK-1と二分する一大コンテンツになっていましたよね。
2007年、週刊誌に「榊原信行氏と暴力団幹部との交際疑惑」報道されたことをキッカケに信用が失墜、ズッファへ経営権を売却する事態となります。

沖縄初のJリーグクラブチーム創設

2007年の「PRIDE」譲渡時の契約に、7年間は競業禁止という条項が盛り込まれていたため、榊原信行さんはこの期間、格闘技ビジネスの世界から離れています。

2007年12月9日に「株式会社沖縄ドリームファクトリー」を設立し、JFLに所属するプロサッカーチーム「FC琉球」の運営に参画など、沖縄初のJリーグクラブチーム創設に尽力されています。
元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏に働きかけてFC琉球の総監督に招聘。2009年から2013年まではJFL(日本フットボールリーグ)の理事も務めるなど、サッカー界の振興にも力を注がれました。
一方で、格闘技への情熱はくすぶったままだったんですね。

「契約書にサインをしたときは業界に戻ってくる気はなかったのですが、その後、PRIDEが消滅してしまったことで戦いの場をなくしてしまった選手たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、手放してしまった後悔も生まれました。それを紛らわせようとしていた時期もあります。ただ、僕が総合格闘技の世界から離れた後に、大晦日の特番はおろか、地上波での放送もなくなってしまった。そうやって総合格闘技がお茶の間からどんどん締め出されていく状況を目にして、自分に何かできることはないかと考えるようになったんです」

格闘技イベント「RIZIN」立ち上げ

2015年10月に新たな総合格闘技イベント「RIZIN」を立ち上げました。

黒い噂を払拭するため、RIZINには元検事の弁護士2名と、元警視庁刑事部理事官がコンプライアンス担当に就任しています。
その甲斐もあり、榊原氏は「RIZIN」の実行委員長に就任し、2015年の大晦日のゴールデンタイムでのフジテレビでの放送を実現させます。

2015年から2022年5月現在までに、RIZINは38回の大会を開催しており、6月19日には頂上対決「那須川天心vs武尊」が地上波で放映されていることがきまっておりましたが、ここにきてのフジテレビとの決裂。今後の動向が気になるところです。

黒い噂があったのは「PRIDE」時代

過去の信用失墜のキッカケとなった黒い噂ですが、事の発端は2003年大晦日にあるようです。

フジテレビが「PRIDE」と、日本テレビが「INOKI BON-BA-YE」、TBSでは「DYNAMITE!!」と、3局が格闘技中継を行いました。
この時、「PRIDE」を手掛けていたのは榊原氏。

「INOKI BON-BA-YE2003」は日本テレビと組んだ川又氏が、「PRIDE」ヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルと出場契約をします。
すると、「PRIDE」を手掛けていたDSEが、ヒョードルを「INOKI BON-BA-YE2003」に出場させないよう、広域暴力団参加のX組幹部を使って、川又氏を恐喝してきたんだとか。

同時に、ヒョードルの代理人のオーストラリア人弁護士も、DSE側に脅されていたそうです。
榊原氏が、「ウチは表向きの契約もあるが、ヤクザを使ってでも、こういう話をするんだ。それが分からないなら、どうなっても知らないぞ」と言い放ったとか。

このことについては、榊原氏はもちろん否定していますが、一度失墜した信用が回復することなく、PRIDEはズッファへ売られる形となりました。

まとめ

いかがでしたでしょうか?
今回は、「榊原信行氏は若い頃からかなりやり手で優秀!黒い噂はどこから?」と題して、榊原信行氏の若い頃からの経歴や黒い噂についてまとめました。

フジテレビとの交渉が決裂してしまったことについては、今後の行方がきになるところです。
こちらは、続報があり次第更新していきたいとおもいます。

本日は以上です!