川淵三郎の家族(妻・子供)は?経歴や年収がすごい!【オリンピック組織委員会会長】

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)は、女性蔑視の問題発言により会長辞任の意思を固めたと報道されていますね。

後任は、川淵三郎氏になるとのことですが、川淵三郎氏の経歴や年収・家族構成について気になるところ。

そこで、こちらの記事では川淵三郎氏の、

●川淵三郎の家族(妻・子供)は?
●川淵三郎のプロフィール
●川淵三郎の経歴や年収は?
●川淵三郎氏の後任にネットの反応は?【オリンピック組織委員会会長】

について、まとめていきます!



川淵三郎の家族(妻・子供)は?

川淵三郎さんは、1962年の12月にご結婚されていて妻と2人の娘さんの4人家族だそうです。

川淵三郎さんの妻と娘さん2人の名前や年齢は公表されていませんが、妻の現在の年齢はおそらく川淵三郎さんと同年代くらいの、現在80歳前後くらいとなのかなと思われます。

また、娘さんについても、川淵三郎さんは1962年にご結婚されているので、2人の娘さんは既に50歳くらいになっているのではないでしょうか?

もしかしたらお孫さんも成人して家族をもっている可能性もありますね。

川淵三郎のプロフィール

川淵三郎さんのプロフィールはこちら!

●名前:川淵三郎(かわぶち さぶろう)
●愛称:キャプテン、槍のかわぶち
●生年月日:1936年12月3日
●年齢:84歳(2021年02月時点)
●出身地:大阪府高石市
●高校:大阪府立三国丘高等学校
●大学:早稲田大学第二商学部商学科

川淵三郎さんは、元プロサッカー選手として活躍されていましたが、中学時代は野球部に所属。

中学校を卒業した1952年、大阪府立三国丘高等学校に入学し、高校では野球部ではなくサッカー部に入部。

高校卒業した後、2浪して1957年に早稲田大学第二商学部商学科に進学。

大学時代には、早稲田大学ア式蹴球部で活動し、関東大学リーグ優勝を果たします。

川淵三郎の経歴や年収は?

経歴

1958年 日本代表に初選出。関東大学リーグ優勝。
1959年 ローマ五輪アジア予選出場。
1960年 第7回チリW杯アジア予選出場。関東大学リーグ優勝。
1961年 3月、早稲田大学第二商学部商学科卒業後、古河電気工業入社。4月、横浜電線製作所勤務。同社サッカー部でプレー。
1962年 インドネシア・ジャカルタで開催された第4回アジア競技大会に出場。12月、結婚。
1964年 日本代表として東京オリンピック出場、対アルゼンチン戦でゴールを挙げる。
【引退後】

1970年 現役引退(日本代表通算68試合、18得点)。
古河電気工業サッカー部コーチ就任。
1972年 古河電気工業サッカー部監督就任(1975年退任)。
1976年 日本サッカーリーグ常任運営委員就任(1979年退任)。
10月、伸銅事業部第1販売部課長。
1980年6月、LA五輪強化部長に就任。
8月、系列会社「谷商株式会社」の常務取締役に出向。
11月、日本代表監督代行就任。
1981年 日本代表監督退任。
1982年6月、古河電気工業・名古屋支店金属営業部長。
1984年4月、日本サッカー協会強化部長退任。
1988年6月、古河産業へ出向、取締役伸銅品部長。
8月、JSL総務主事就任。
10月、日本サッカー協会理事就任。
1989年6月2日、JFA・プロリーグ委員会委員長就任。
1990年8月、プロリーグ検討委員会委員長就任。
1991年3月、強化委員長、プロリーグ設立準備室長就任。
11月、社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立、初代チェアマン就任。
11月、30年勤続した古河電気工業退社。
1993年5月、Jリーグ開幕、国立競技場にて開幕宣言。
1994年5月、日本サッカー協会副会長就任。
6月、W杯日本招致委員会実行副委員就任。
10月、強化委員長退任。
1996年7月、2002年W杯開催準備委員会実行副委員長就任。
1997年12月、2002年FIFAW杯日本組織委員会理事就任。
2002年7月、Jリーグチェアマン退任。
後、日本サッカー協会会長(キャプテン)に就任。
2008年6月、3期6年務めた日本サッカー協会会長を退任、名誉会長に就任。
2010年9月、日本サッカーミュージアム館長に就任。任期は2年。
2011年5月、日本将棋連盟非常勤理事に就任。
2011年6月、東京都教育委員に就任。(2012年11月22日退任)
2012年3月、心の東京革命推進協議会会長に就任。
2012年4月、JFAアカデミー堺スクールマスターに就任。
2012年6月、日本サッカー協会名誉会長を退任し、同最高顧問に就任。
2012年11月、東京都教育委員を退任し、東京都知事選に出馬する猪瀬直樹選挙事務所の選対本部長に就任。
2013年3月、公立大学法人首都大学東京理事長の就任が決まる。任期は、4月1日から4年間。
2015年1月、国際バスケットボール連盟主導で設立された日本バスケットボール協会改革のためのタスクフォース「JAPAN 2024 TASKFORCE」のチェアマンに就任。
2015年4月、一般社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ理事長に就任。
2015年5月、日本バスケットボール協会会長に就任。
2015年5月、日本トップリーグ連携機構会長に就任。
2016年6月、日本バスケットボール協会会長を退任し、エグゼクティブアドバイザーに就任。
2017年3月、公立大学法人首都大学東京理事長を任期満了で退任。
2018年3月、日本サッカー協会最高顧問を退任し、同相談役に就任。
引用元:Wikipedia

現役時代から引退後も物凄く豊富な経歴をお持ちですごいですよね!!

年収

日本トップリーグ連携機構の会長を務めている川淵三郎さんの年収は、公表されていなく不明でした。

しかし、川淵三郎さんが日本サッカー協会の会長を務めていた時の年収は推定3000万円だと言われています。

現在は、日本トップリーグ連携機構の会長ですので、日本サッカー協会の会長を務めていた時よりも多い収入をもらっていると予想されます。

憶測にはなってしまうのですが、現在は川淵三郎さんは5000万円を超えるくらいの年収はあるのではないでしょうか。

川淵三郎氏の後任にネットの反応は?【オリンピック組織委員会会長】

まとめ

川淵三郎氏の家族(妻・子供)や経歴や年収、ネットの反応についてまとめてみました。

オリンピックまでの期間が少なく、コロナ禍でどうなるかわからない状況ですが、会長になったら是非日本のためにがんばってほしいですね!