エンゼルス・大谷翔平選手の今シーズンの活躍ぶりは、ファンじゃなくても思わずファンになってしまうような、華麗な投打のプレイの連続で目が離せませんね。
けがを乗り越えて、ここまで活躍するなんて、治療中・リハビリ中だった頃ご本人は想像していたのでしょうか。
いやいや、大谷選手のことですもの、きっといろんな気持ちをグッと胸にしまい込んで、今のように活躍している自分を想像しながらいたのだと思います。
あぁ、大谷選手が「侍ジャパン」に選ばれていたらならどんなに盛り上がったことでしょう。
そもそも、こんなに活躍できる選手なのに、なぜ選ばれなかったのでしょう。
そこのところ気になりませんか?
野球のルールや、メジャーの野球選手は分からないけれど大谷選手のプレイする姿は好き。カッコいいし。
そういうファンのために、少し調べてみました。
侍ジャパン大谷翔平がオリンピック2020に選ばれないのはなぜ?
大谷選手がオリンピックに出場しない理由はいくつか考えられます。
1 所属している球団が許可してくれない
アメリカのプロ野球リーグ(MLB)の規定(ルール)ではオリンピックなどの、世界大会レベルの試合に所属している選手を出場させるかどうか決めるのは、その選手が所属している球団が決めるそうなんです。
大谷選手の所属している球団は『ロサンゼルス・エンゼルス』ですね。
大谷選手が出場したいと言っても、エンゼルスが「NO!」と言えば出場できないんだそうです。びっくりですよね。知りませんでした。
2 オリンピック開催期間がメジャーのシーズンと重なってるから
毎日、テレビのスポーツコーナーに取り上げられていることを見てもこれは納得ですよね。
日本はオリンピック期間中、リーグを中断し「侍ジャパン」として参加するのですがこれはオリンピック開催国なので、当然という考え方です。
一方、メジャーのほうの考え方は、リーグを中断してまで行こうとは思っていないようです。
それも分かるような気がします。想像してみてください。
大谷選手がいないエンゼルス。大谷選手がいないメジャーリーグ。
今シーズン、前半の活躍ぶりを見てしまってからなので淋しさや物足りなさを感じるファンの顔が目に浮かびますね。
エンゼルスとしても、大谷選手の人気にあやかりたいと思いますよ。
私がエンゼルスの幹部なら、シュータイムはとめません。
3 日本プロ野球(NPB)が遠慮した
じつは、これが侍ジャパンに選ばれなかった一番の理由ではないかと私は思います。
ここからは、私の想像です。あなたも一緒に想像してみてください。
仮にエンゼルスが「出場OK!」したとしましょう。
エンゼルスさんから大谷選手をお借りしてくるという考え方になるわけです。
お借りした選手が大谷翔平選手ですよ。
ケガでもしたら大変な事になりそうじゃないですか。
考えただけでも怖いですよね。
今や、エンゼルスの主力投手、主力打者なわけですから日本プロ野球関係者としては、「いろいろなリスク」を考えた結果遠慮したのではないかと想像します。
もう、誰もが認める【世界のオオタニサン】に成長した大谷翔平選手なので
今回のオリンピック「侍ジャパン2020」に選ばれなくても仕方がないのかもしれませんね。
花巻東高校時代の大谷翔平選手
今の大谷選手の活躍は、いきなりできるようになったというわけではないことは、みなさんもご存じだと思います。
初めからメジャーで活躍できるような体格、技術、精神力を持っている人なんて、そうそういませんよね。
その基本になった高校時代のエピソードをいくつか紹介しましょう。
高校一年生の大谷翔平選手
ごめんなさい。あやまります。
前述した「いきなりできるようになったというわけではない」の部分。
撤回します。
一年生からレギュラーでした。一年生の夏の岩手県大会からもうすでに、投打で活躍しちゃってます。
ただその時の背番号は「17」でした。
しかし、その年の秋の県大会では早くも背番号「1」。エースナンバーを付けてたんですね。
高校二年生の大谷翔平選手
ケガのこともあり、夏の岩手県大会では先発投手じゃなかったようです。
しかしながらバッティングでは活躍し、優勝に貢献しています。
甲子園でもケガの影響で先発ではありませんでした。
投げたかったでしょうね。甲子園ですもん。
高校三年生の大谷翔平選手
帽子のつばの裏側に「岩手から日本一になる」と書いて、日々の練習を頑張っていたそうです。
ブルペンでの投球数は200球以上にもなっていたとか。
当時キャッチャーをしていた選手も大変だったと思いますが
大谷選手の気持ちを理解できていたからこそ、一緒に練習に励んでいられたんでしょうね。
高校最後の夏の岩手県大会はケガも治り絶好調!投打の活躍をし、「二刀流」完全復活でした。
そうそう、この年の準決勝で岩手県大会としてはすごい大記録がうまれたんですよ。
160km/h
岩手県大会と言いましたが、高校生投手の記録では最速!
この記録が出た瞬間は「岩手の大谷」から「全国の大谷」になった瞬間でもあります。
ただ、高校最後の夏の県大会では決勝で敗れ「日本一」の夢はかないませんでした。
試合後のインタビューでは、泣きながらこんなことを語りました。
「160キロをだすより、日本一になって岩手のみなさんに喜んでもらいたかった」
高校時代のエピソードをあれこれ調べていくうちに、メジャーリーグに行ってからの数年間とリンクするような感じをうけました。
一年目 活躍。 二年目 ケガのため二刀流おやすみ。三年目 ケガを克服し大活躍。
そして、高校生の頃、喜んでもらいたい相手は岩手のみなさん。
メジャーリーグに行ってからは世界のみなさん。
どうでしょうか?花巻東高校の三年間で、もうすでに現在の大谷翔平というスタイルができていたと思いませんか?
まとめ
この疑問を解決したくて、調べていくうちにいろいろなことが分かってきました。
そして、私の出した結論はこうです。
!(^^)! 大谷翔平選手が偉大すぎるから
!(^^)! 大谷翔平選手は世界の野球界の宝だから
さぁ!分かったところで、これからも世界のオオタニサンを
一緒に応援していきましょう。レッツ ショータイム!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。